2019/3/29 OPEN!見どころ満載「尼崎城(あまがさきじょう)」できましてん!!

「たつんだ!ジョー」のコールにこたえて

明治維新とともに取り壊された尼崎城。
急速な都市化が進むなかで城下町はまったく姿を変えてしまいました。
しかし城があった記憶は失われることなく、再建を望む声が何度も浮上しては資金不足や景気の影響などであえなく断念。
そんな歴史を知ってか知らでか「創業の地に恩返しがしたい」とこの町で生まれた家電量販店の創業者が10億円を超える私財を投じて尼崎城天守の建設に着手したのでした。
そんな彼の姿に、市民や尼崎を愛する仲間も共鳴。
「一口城主」や「一枚瓦」などで寄せられた寄付額は約1億9千万円にのぼります。
大坂の西の守り、世にも美しい天守。平成最後に悲願の尼崎城が建ちました。

幕府からも重要視されていた尼崎城~その歴史を紐解く

尼崎城は、別名琴浦城とも言われ、1617年(元和3年)に譜代大名戸田氏鉄(1576~1655年)の尼崎への所替えに伴い築城されました。
天守は、4層4階の大天守に、西側の2階建て多聞櫓小天守が付属する複合式天守と呼ばれる形式で、現在の尼崎市立文化財収蔵庫本館の北東隅付近に建っていました。
約12mの天守台石垣の上に約18mの高さでそびえる層塔型の大天守は、2階から4階まで唐破風・千鳥破風の屋根飾りを付けて装飾的な意匠が凝らされ、シンプルながらも堂々として美しい外観をもつ江戸時代の尼崎のシンボルでした。
天守は本来戦争時の見張り台や籠城時の指令所として発展しましたが、軍事的な性格が薄れた江戸時代においては、もともと天守を持たない城や天守喪失後に再建されない城が多くありました。尼崎城の天守も非実用的なものでしたが、外観を意識した装飾的で美しい天守の姿は、権力の象徴であると同時に、江戸時代の泰平の世を象徴するものでした。
江戸幕府は一国一城令により各地の城郭を破却する政策を推し進める一方で、尼崎には5万石の大名の居城としては大きすぎる城を敢えて造らせたことなどから、幕府がいかに尼崎を重要視していたかがうかがわれます。
しかし、1873年(明治6年)の廃城令により取り壊されてしまいました。現在の天守は2019年(平成31年)3月に再建されたものです。

尼崎城(ジョー)を徹底解剖


400年ぶりに再建された新しい尼崎城の内部を各フロアごとにご紹介します。
これを読めばあなたも尼城(ジョー)マニアになれるかも!?

1F 尼崎まちあるきゾーン(無料コーナー)


入口付近には多くの方々の想いのつまった一口城主芳名板を設置。
魅力紹介映像では尼崎城を中心に歴史や観光をナビゲート。さあ、尼崎のまちあるきへ出かけましょう!

2F 尼崎城ゾーン


VRで再現された尼崎城下町を幅10mの大画面で楽しめます。まるで当時の尼崎にタイムスリップしたような映像は圧巻!
また、火縄銃の重さ体験や剣術体験ゲームなど、体験しながら学べる展示も盛りだくさんです。

3F なりきり体験ゾーン


記念撮影はぜひここで!
畳の空間で貸出衣装を身につけて尼崎城主やお姫様、武士になりきってみませんか?

4F ギャラリーゾーン


尼崎が生んだ城郭画家、荻原一青氏の作品を展示したギャラリー。
百名城手ぬぐいを中心に城郭への思いがあふれます。

5F わがまち展望ゾーン


天守では尼崎の町を解説。タブレット端末を操作して尼崎城下町の姿も知ることができます。
展望室に広がる現在の風景と見比べてみてはいかがでしょう?

尼崎城のおも城話

尼崎城を居城とした尼崎藩の藩主は、初代が戸田氏鉄、その跡を継いで青山氏、松平氏と、いずれも徳川譜代の大名でした。ここでは、当時の尼崎城にまつわるお話をご紹介いたします!

大切な城は俺が守る!三代目城主・青山幸利

「西の守り尼崎藩」を最も体現したお殿様、青山幸利(1616~1684年)。
大坂城代の従兄弟の相談に乗るため大坂に通い、摂津や播磨など近くの国の動向を探るため、家臣に忍者(忍び目付)を抱えていました。尼崎城の天守閣が大好きで、毎朝眺めては時折ポロリと涙を流していたとか。

日本赤十字社の設立に尽力。最後の城主・松平忠興

松平忠興(1848~1895年)は、日本赤十字社の前身、博愛社の設立にいち早く賛同。仮事務所に自分の邸宅を提供したり、西南戦争では長崎まで看護に赴いたり。若くして藩主となり、父の監督の元で藩政を担っていたので、「自分の判断で動きたい。社会に役立ちたい」という思いがあったのかもしれません。維新後に積極的な活動をされた方です。

尼崎城は平和のシンボル

戦のためのお城なのに、実は一度も戦には使われていないんです。
新しいお城ももちろん戦に使わないので、尼崎城は人を傷つけないお城だと思っています。歴史に興味を持つきっかけの場所になったらめっちゃ嬉しいです!

名称 尼崎城天守
住所 兵庫県尼崎市北城内27
電話番号 06-6480-5646(FAX:06-6480-5746)
開城時間 9:00~17:00(最終入城は16:30)
休城日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29~1/2)
URL https://kansai-tourism-amagasaki.jp/
地図
アクセス 阪神電車「尼崎駅」南へ徒歩5分
入城料金
(税込)
一般・大学生 生徒・児童
個人 500円 400円
団体
(20名以上)
250円 200円
身体障がい者手帳、療育手帳及び精神障がい者保健福祉手帳の交付を受けている方※1※2 350円 180円

※1 入城時に手帳を提示してください
※2 手帳をお持ちの方の介護者は一般・学生250円になります。

知られざる?尼崎カルチャー

尼崎といえば、工業地帯というイメージがありますが、実は歴史に縁深い場所です。風情ある寺町や、近松門左衛門や白髪一雄といった芸術家の歴史に触れてみませんか?

寺町地区


寺町

寺町は1617年(元和3年)尼崎城の築城によって城郭に散在していた寺院を集めてその一画を寺町としました。
町から距離を置いて寺院の影響力を弱めるとともに、厚く高い塀に囲まれた寺院を配置して城に対する防備の役割を持たせたと考えられます。
現在も3.9haに11の寺が軒を連ね、国指定の重要文化財7件をはじめ県や市指定の文化財も多数あり、静かな佇まいは城下町の面影を伝え続けています。

近松の里(近松記念館、広済寺、近松公園など)


近松門左衛門(ちかまつもんざえもん 1653~1724年)

江戸時代に人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の世界で活躍した劇作家、近松門左衛門(1653~1724年)。
流麗で音楽的な文章の中に現実の醜さや悲しさ、葛藤、不条理が込められた作品は今なお愛され続けています。
ゆかりの品々や墓所がある近松の里はファンなら一度は訪れたい場所です。


広済寺境内には近松と妻の墓所があります。


市民の憩いの場となっている近松公園


近松記念館

名称 近松記念館
住所 兵庫県尼崎市久々知1-4-38
開館時間 10:00~16:00
休館日 水曜日、第2日曜日、お盆、年末年始
URL http://hccweb5.bai.ne.jp/tikamatukinenkan/
地図
入館料(税込) 大人 200円 学生 150円 子ども 100円

白髪一雄記念室


白髪一雄記念室(しらが かずお 1924~2008年)

天井から吊るしたロープにつかまり、床のキャンバスに足を使って描いた大胆な作品で知られています。
尼崎の呉服屋に生まれ、お店の2階をアトリエとして創作活動を行っていました。
尼崎への深い愛着があり多くの作品を寄贈しています。

名称 白髪一雄記念室
住所 兵庫県尼崎市昭和通2-7-16(尼崎総合文化センター4F)
電話番号 06-6487-0806
営業時間 10:00~17:00
定休日 火曜日
URL http://www.archaic.or.jp/shiraga/
地図
料金(税込) 一般 200円 高校生・大学生 100円 中学生以下 無料

掲載情報は2019年6月21日現在
記事・画像協力:あまがさき観光局、尼崎市

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