仙台のプロサッカーチーム「ベガルタ仙台」が創立25周年を迎える2019年。
地元密着のチームとして25年歩んできた足跡を特集していきます。
第1弾はチーム発足のブランメル仙台時代をご紹介します。
~第1章 「ブランメル仙台」の創立~
94年~98年シーズン
(95年 ブランメル仙台 メンバー )
東北電力サッカー部を母体に、チーム名を「伊達男」を意味する「ブランメル」を採用した「ブランメル仙台」とし、Jリーグ黎明期の1994年11月に産声を上げました。
初代監督に鈴木武一、地元出身の鈴木淳や外国人選手エンリケ、エジマールを擁して、発足2か月後に開催された全国地域リーグ決勝大会を制し、ジャパンフットボールリーグ(通称 JFL)へ昇格。
JFL初年度はヴェルディ川崎(当時)から阿部良則などをレンタルで獲得し、チャレンジするも16チーム中15位と振るいませんでしたが、この年にJリーグ準会員として承認を受け、Jリーグ参入へ大きな一歩を刻みました。
当時のJFLには、NEC山形(現 モンテディオ山形)、富士通(現 川崎フロンターレ)、鳥栖フューチャーズ(現 サガン鳥栖)、東京ガス(現 FC東京)、ヴィッセル神戸など、現在のJリーグチームが所属しており、各チームがJリーグ参入を目指した群雄割拠のJFLでした。
96年シーズン
(96年 ブランメル仙台 メンバー )
Jリーグ準会員に承認され、念願のJリーグ昇格の2位以内を目指すために、チームを大刷新。
監督を務めた鈴木武一から清水エスパルスのコーチだった佐藤長栄を新監督に迎え、90年W杯 西ドイツ優勝メンバーでJリーグでも活躍したリトバルスキーが2年ぶりに現役復帰し、94年Jリーグ得点王のオルデネビッツや越後和男などJリーグ経験のあるプレーヤーを獲得する大型補強を敢行しました。
積極的な補強が功を奏し、開幕5連勝を飾るなど順調なスタートを飾り、大きな期待を受けて、一気にJリーグ参入まで駆け抜けるはずでしたが・・・
勝ちきれない試合が続くなどの最終的には18勝12敗の6位。昨年の15位から大きく躍進するも、目標の2位以内に入ることが出来ずにシーズンを終え、佐藤監督は退任。
また、このシーズンに後の「ミスターベガルタ」千葉直樹が入団しました。
97年シーズン
(97年シーズン エルスナー体制 発足)
(97年シーズン ルス体制 発足 )
監督に元オーストリア代表監督のエルスナー氏を招聘。
また、GKに元日本代表の松永成立を鳥栖から獲得するなど、守備の安定感を強めるチーム作りを進めました。
泉区七北田公園に仙台スタジアム(現 ユアテックスタジアム仙台)を開設し、ハード面での準備は整い、いよいよJリーグへの加入を目指して開幕。
しかし、10節を終えた時点で3勝7敗と波に乗れず、エルスナー監督は辞任。
GKコーチだったルス氏を監督に昇格させ、立て直しを図るものの、守備の要の松永が8月に移籍なども重なり、結果は8位となり、序盤のつまずきを修復できないままシーズンを終えました。
また、ルス監督もこのシーズンを持って退任しました。
98年シーズン
(98年 ブランメル仙台 メンバー)
育成年代に定評の有った壱岐総監督を迎え、鈴木武一監督を復帰させた2頭体制で98年シーズンに望みます。
次年度から「J2リーグ」が開設されることからJFLとしての最後のシーズンとなりました。
95年シーズンに在籍した阿部良則が復帰し、地域に密着した運営と若手主体の編成を行うことで、長期的なビジョンを打ち出し、最後のJFLに臨みます。
結果は18勝12敗の7位と勝ち越すものの、昨シーズンとほぼ同順位でシーズン終了を迎えました。
また、Jリーグ正会員となり次年度からのJ2リーグへ参入も決定し、チーム名も現在の「ベガルタ仙台」変更することとなりました。
まとめ
本記事では、チーム発足のブランメル仙台時代をご紹介しました。
次章では「ベガルタ仙台誕生!~J2参入から念願のJ1昇格~」をご紹介いたします。(更新は2019年3月末予定)
写真提供 ベガルタ仙台